2023年02月06日(月) 18:01
▲今回のテーマは「俺の覚醒」(撮影:稲葉訓也)
前回明かされた岩田騎手の「暗黒期」。第2回ではそこから脱するきっかけとなった落馬事故について詳しく伺います。
「馬が盾になり最後に俺を守ってくれた」と語っていた落馬事故。確かに岩田騎手は14本もの骨を折る大怪我にもかかわらず、頭や首、脊髄は無傷だったと言います。それまで7年もの間、悩み苦しんでいた岩田騎手はその大怪我で目が覚め、ジョッキーとしての記憶を取り戻したのだそう。そんな怪我の間に体験した少し神秘的なお話も交えた「俺の覚醒」を語ります。
(取材・構成=不破由妃子)
──2020年の落馬(4月26日・京都1R・3歳未勝利・ダイヴィンダート)ですが、落ちた瞬間の記憶はあるんですか?
岩田 ないよ。気づいたら手術台の上だった。肺気胸になっていたから、まずは血を抜かなアカンということで。結局、肋骨13本と右腕(右腕骨)が折れてた。もうバッキバキや(笑)。痛すぎて、背中をベッドに付けなくてやな。MRIを撮るにしても、首とお尻の下に枕を置いて、背中を浮かせた状態で撮ったんやで。
──肋骨13本ですもんね…。その痛みは想像することができない。
岩田 だけど、頭、首、脊髄は無傷で。きれいなもんやった。そのときに、「めちゃくちゃ無事やないか、俺」と思って。「これは、まだ俺に馬に乗れっていうことか!?」と目が覚めたような気分やった。それまでは、「辞めたいなぁ」と思いながら乗っていたからね。馬にも関係者にも、本当に失礼やったなと思う。たぶん、そんな俺に、競馬の神様が「目を覚ませ!」って喝を入れたのがあのケガで。生かしてくれたんかなって。
──痛みに耐えながらいろんなことを感じて、いろんなことを考えた時間だったんですね。
岩田 そうや。なんせ眠れなかったからね。1時間くらい寝ても、痛くて起きてしまう。だからもう病室のカーテンを開けて、ベッドの上で朝日が昇るのをずっと見てた。あ、昇ってきた、昇ってきたって何日も。そんなことを繰り返しているうちに、忘れていた馬の乗り方がブワーブワーッと自分のなかに入ってきて。戻ってきたのよ、記憶が。俺、それまでの何年間は、記憶喪失やったんやなって。
──神秘的なお話ですね。
岩田 嘘だろと思うかもしれないけど、これはホンマなんです。そういえば俺、幽体離脱っていうヤツも経験したことがあんねん。昔ね・・・
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岩田康誠
1974年3月12日、兵庫県生まれ。1991年に公営・園田競馬でデビュー。4度の兵庫リーディングに輝き、2004年にはデルタブルースで菊花賞を勝利、地方所属騎手として初の中央クラシック制覇を達成した。2006年にJRAに移籍。2012年にはディープブリランテと日本ダービーを制覇、ロードカナロアとは日本馬初となる香港スプリントを勝利している。歯に衣着せぬ物言いと直線での「イン突き」は常に多くのファンを魅了している。
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