富士山のような騎手人生

2025年02月20日(木) 12:00

 歴代最多の地方競馬通算7424勝をマークした「大井の帝王」的場文男騎手が現役引退を発表した。それに伴い、今週月曜日、2月17日の夕刻、大井競馬場で記者会見が行われた。

 現在68歳。1973年にデビューし、51年5カ月も騎手生活をつづけた。通算43497戦7424勝、2着6062回。重賞は154勝。そこには帝王賞3勝、東京大賞典優勝などが含まれる。大井競馬リーディングに21回、地方競馬全国リーディングに2回輝いた。

 公の場に姿を現したのは、最後の騎乗となった昨年7月8日以来、約7カ月ぶりということになるのか。

 本来なら、ファンの前で引退セレモニーをすべきところだが、膝の調子が完全ではなく、長時間立っていることが難しいため、こうした記者会見という形になったとの説明が司会者からなされた。

 見慣れた、赤い地に白い星の勝負服を着た的場騎手は、会見場に入ってくると深々とお辞儀をした。7年前、2018年の夏、佐々木竹見氏の地方競馬通算最多勝記録更新に王手をかけながらなかなか勝てなかったあとの囲み取材も、いつもこういう始まり方だった。

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会見場に現れた的場文男騎手

 地方競馬全国協会の斉藤弘理事長、大井競馬開催執務委員長の桑野俊郎氏らからの花束贈呈やフォトセッションが7分ほど行われてから、的場騎手が話しはじめた。

「主催者の皆様、また競馬関係者の皆様、ここにいる報道関係者のみなさまの応援があってこそ、51年間騎乗できたと思います。騎手として4万4000近く乗せていただき、7425近く勝たせていただいて、感謝の気持ちで一杯でございます。本当にありがとうございます」

 その後、司会者に着席を促され、代表質問、各記者からの質問の順で会見は進められた。

 的場騎手は、周囲の応援があったからこれだけ長くつづけられたことへの感謝の思いを何度も繰り返した。

「これだけ乗れるとは自分でも思っていませんでした。騎手に関して未練はありません。これから大井競馬場はまたどんどんお客さんが増えて、馬券も売れていくと思います。一般人になるわけですから、スタンドにも来て応援したいと思っています」

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カメラマンに求められてピースサインをする的場騎手

 質問と答えが噛み合わないことが多々あるのは、的場騎手にインタビューしたことのある取材者はみなわかっており、今回も、「最後の騎乗からこれまでどう過ごしていたのか、どのタイミングで引退を決断したのか」という質問に対し、的場騎手は「佐々木竹見さんの最多勝記録という目標があったから長く乗ることができた」と答えていた。質問者はあえて同じ問いを繰り返さなかったのだが、別の記者からの質問に、的場騎手は引退の決断につながる答えを次のように述べた。

「(膝の状態は)普通に生活するぶんには全然問題ありません。(昨年の)2月頭にやったんですけど、それから10日ぐらいで乗れるかと思っていたら、とんでもなかった。靴下を履くだけで歩けなくなるとか、ちょっと捻っただけで歩けなくなって。5カ月ぐらい休んで7月初めに騎乗しました。ゲートから出るとき、膝を曲げたり伸ばしたりしなきゃいけないのですが、痛くて、これはもうダメだなと思いました。騎手はやっていけないのかなって。靱帯っていうのはやっぱり骨折よりひどくて、なかなか元通りにならない。もう馬に乗るのはダメだなと思いましたね」

 そう話したとき、特に悔しそうでもなく、声を震わせることもなかった。目が潤んでいるように見えたのは、関係者に感謝の言葉を述べたときだけだった。「いつも同じペースの的場さん」がそこにいた。

 最後の騎乗停止につながった、ほかの騎手との金銭トラブルに関する本人からのコメントはなかった。主催者サイドから、それに関する質問は遠慮してほしいといった要望などもなかったのだが、誰も聞かなかった。私も聞くつもりはなかった。

 先日話題になったフジテレビの長時間の会見と根本的に違ったのは、出席した記者たちがみな、取材対象に対して、強い感謝とリスペクトの念を抱いていたことだ。口にはせずとも、ここで的場さんに「申し訳ありませんでした」と頭を下げさせたところで何になるんだ、とみな思っていたのではないか。

 自身の言葉にあったように、来月から「一般人」になるのに、こうして話を聞く場を設けてくれただけでいい、と、少なくとも私は思っている。

 私は取材の合間、的場騎手に缶コーヒーを奢ってもらったことがある。的場騎手は、編集者とカメラマンにも喉が渇いたか聞いて、自販機のボタンを押していた。自分のぶんは買っていなかったと思う。セコい人ではまったくない。

 目上の人に対して失礼な言い方になるが、いわゆる「天然」なところがあり、例えば、自著『還暦ジョッキー がむしゃらに、諦めない』を上梓したとき、私に「おれね、『がむしゃら』って本を出したんだよ。知らない?」と話していた。

 的場騎手にとって、あの本のタイトルは『がむしゃら』なのだ。これはあくまで私の想像で、合っていると言うつもりはないが、的場騎手は、少額の金銭に関しては、自分のものと他人のものという区別に関する意識が希薄だったのだと思う。悪気はなかったはずだ。ただ、繰り返すが、これはあくまでも私の想像である。

 偉大な騎手だった。誰も見たことのない景色を味わい、その美味さを私たちにも分けてくれた。

 富士山が好きだ、という言葉が印象に残っている。

「ゆるやかに登って、頂上の平らなところが長くて、またゆるやかに下って行くでしょう。おれの騎手人生を示しているような山だよね」

 若いころは大井競馬場から富士山が見えて、自分は御殿場のあたりにいるんだ、と思っていたという。

 今の的場騎手は、富士山の稜線を下り切り、腰を下ろして息をついたところか。

 的場さん、長い間お疲れさまでした。本当にありがとうございました。

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島田明宏

作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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