2025年06月05日(木) 12:00
相馬野馬追3日目の野馬懸終了後、青森県八戸市に移動した。そして翌日、八戸出身の最年少ダービージョッキー・前田長吉の墓参りをするため、長吉の兄の孫の前田貞直さんを訪ねた。
墓参りをしたあとは、貞直さんのお宅で長吉の写真や資料を見ながら互いの近況報告などをするのが毎年のパターンだ。今年も貞直さんが焼き増しした写真を見せてもらっていると、私が忘れているだけなのかもしれないが、初めて見たように思う写真があった。
長吉のデビュー戦の写真だ。
前田長吉のデビュー戦。ハルクサで1着
写真の右にあるのは、マザーの写真の裏に貼り付けてあった成績表のコピーである。長吉から実家に送られた写真の裏に、おそらく父の長松さんが雑誌などから成績表を切り取って貼るのを習慣にしていたのだと思われる。
かつて長吉は「謎の騎手」とも言われていたのだが、前田家本家の人々が、こうした資料を大切に保管してくれているおかげで、今となっては、あの時代のレジェンドのなかで、明らかになっていることが非常に多い騎手のひとりになっている。
八戸の次の目的地は、高速道路を使えば30分ちょっとで着く三沢である。
朝一番で、日本最古の民営洋式牧場の広澤牧場を創設した広澤安任の墓参りをし、その近くで農業を営みながらサラブレッドの生産をしている織笠時男さんを訪ねた。織笠さんのお父さんが広澤牧場で働いていたことから取材させてもらい、その後もこうしてときどき会うようになった。
今は長芋やゴボウなどの作業が忙しい時期らしく、織笠さんは少し話して、土産を恐縮するほどくれてから、「馬のことは息子に聞いてよ」と、畑のほうに行ってしまった。
しばらく待っていると、種付け後の検査を済ませた牝馬を馬運車に積んだ、織笠さんの娘婿の織笠洋幸さんが戻ってきた。洋幸さんは3年前まで三沢の米軍基地で働いていたのだという。農業と馬産への転身は思い切りが必要だったと思いきや、結婚して30年以上ここに住んでいるので、特段変わったことを始めたようには感じていないという。
エプソムアイリスと当歳牡馬と織笠洋幸さん
写真の当歳牡馬は4月16日生まれ。父は同じ青森県で繋養されているウインバリアシオンだ。
「この仔は人懐っこくて、すぐ寄ってきますよ」
洋幸さんがそう話すように、母馬が心配するほど積極的にこちらに近づいてくる。それに、ぴょんぴょん飛び跳ねるなど元気がよく、バネがすごい。母エプソムアイリス(21歳)には今年もウインバリアシオンを付けたというが、受胎したかどうかは取材時にはわかっていなかった。
やはり、ウインバリアシオン産駒のハヤテノフクノスケが2連勝で天皇賞(春)に出たことが、青森の生産者を活気づける要素になっているようだ。ときは前後するが、3月に七戸で行われた種牡馬展示会にはウインバリアシオン目当てのファンもかなり訪れていたという。
ガラシアと当歳牝馬
この写真の当歳牝馬の父はダンシングプリンス。母ガラシア(16歳)はウインバリアシオンの仔を受胎している。ガラシアが上を向いているのは、ちょうど米軍のヘリコプターが飛んできたからだ。
織笠さんの牧場で今年無事に生まれたのはここに紹介した2頭。繁殖牝馬はもう3頭いて、7歳のエミージョと9歳のアガパンサス、そして今年繁殖牝馬になった6歳のカクテルライトだ。エミージョとアガパンサスにはアニマルキングダム、カクテルライトにはサブノジュニアを付け、みな受胎しているという。
7月2日の八戸市場には、エプソムアイリスの2024(父ウインバリアシオン)とエミージョの2024(父エスケンデレヤ)、フィッシュザビートの2024(父エスケンデレヤ)という3頭の1歳牡馬を上場するとのこと。ウインバリアシオン効果もあり、活発なセリが期待できるのではないか。
かつて7頭のダービー馬を送り出した青森の生産界も衰退の一途をたどり、往時には200以上あった牧場も2024年の時点で28にまで減った。三沢地区にあるのは、織笠さんの牧場と、同じく広澤牧場にゆかりのある北村牧場の2軒だけだ。これからも、サラブレッド生産の火を消さずにいてほしいと思う。
織笠さんの牧場から「斗南藩記念観光村」に移動し、敷地内にある道の駅みさわで腹ごしらえをした。ここのレストランのパイカカレーは絶品だ。パイカとは豚の軟骨付きバラ肉を煮込んだ料理で、軟骨もトロトロで美味しく、コラーゲンたっぷりと栄養もある。
それから、観光村の敷地内にある三沢市先人記念館に行き、学芸員の梅津彩希さんに企画展「廣澤牧場の歩み」を案内してもらった。
三沢市先人記念館企画展「廣澤牧場の歩み」会場
明治5(1872)年に開場した廣澤牧場は、三沢市の北半分という広大な敷地で牛馬の飼育を行ってきた、日本最古の民営洋式牧場である。競走馬の生産も行っており、主な生産馬に、1954年の中山大障害(春)を勝ったギンザクラがいる。が、1985年に閉場した。
この企画展と常設展を併せて見ることで、廣澤牧場と、そこを創設した廣澤安任の足跡をたどることができる。
また、先人記念館の下にあって、安任の住居兼書斎を復元した「六十九種草堂苑」も見る価値がある。往時の廣澤邸は、これよりさらに大きかったのだという。
旅の最後に訪ねたのは、先人記念館の6キロほど南にある三沢市寺山修司記念館だ。
詩人・歌人・劇作家などとして名を馳せた寺山は競馬エッセイストとしても活躍し、今年がちょうど生誕90年にあたる。
寺山修司記念館の佐々木英明館長と
私は文章を書く仕事を始めたばかりだった二十代前半に競馬が好きになり、物書きの先輩方に薦められて『競馬への望郷』『馬敗れて草原あり』など寺山の競馬エッセイを読むようになった。
寺山作品に出会っていなかったら、私は競馬に関する文章を書くようにならなかったかもしれない。今でも、取材対象への向き合い方のひとつとして、「寺山ならどう描くか」と自然と考えてしまう。
そんな寺山を知る詩人の佐々木英明館長や、学芸員の広瀬有紀さんたちと話す時間は、自分の現在地を確かめる意味でも、とても有意義で、貴重なものになっている。今、さまざまなメディアで寺山について言及し、寺山の有力な広告塔になっている女優の見上愛さんの話も出た。見上さんも、ぜひここを訪ねてほしい。
4泊5日、細かいことを言うと、帰りに日付を跨いだので4泊6日となった東北取材旅行は無事に終わった。
この稿を書いている途中で、元巨人の長嶋茂雄さんが亡くなったことを知った。私が物心ついたときからずっとスーパースターとして認識していた唯一の存在かもしれない。ご冥福をお祈りします。
バックナンバーを見る
このコラムをお気に入り登録する
お気に入り登録済み
お気に入りコラム登録完了
島田明宏「熱視点」をお気に入り登録しました。
戻る
※コラム公開をいち早くお知らせします。※マイページ、メール、プッシュに対応。
島田明宏
作家。1964年札幌生まれ。「Number」「優駿」「うまレター」ほかに寄稿。著書に『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリー『ブリーダーズ・ロマン』。「優駿」に実録小説「一代の女傑 日本初の女性オーナーブリーダー・沖崎エイ物語」を連載中。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナー写真は桂伸也カメラマン。 関連サイト:島田明宏Web事務所
コラム
相馬野馬追で会った元競走馬たち
東北取材旅行と一代の女傑
競馬界のチョッコウさん
最年少GI制覇なるか
リバティアイランド、安らかに
競輪
競輪を気軽に楽しもう!全レース出走表・競輪予想、ニュース、コラム、選手データベースなど。