人と馬の居場所

2025年07月10日(木) 12:00

 先刻、何とはなしにパソコンで「netkeiba」のトップページを眺めていたら、ノースヒルズの勝負服の色使いを生かした、ワンアンドオンリーのオリジナルグッズのバナーがあることに気がついた。クリックすると、別ウインドウで「ネットケイバショップ」のページが表示された。こういう独立したページがあることを初めて知った。ものすごい品揃えで、ワンアンドオンリーだけでなく、アーモンドアイやイクイノックス、オルフェーヴルなどたくさんの馬や、川田将雅騎手をはじめとする競馬学校騎手課程20期生や坂井瑠星騎手らのグッズが販売されている。そのなかに「謙聞録」「with佑」と、netkeibaのコラム名がついたコーナーもあった。池添謙一騎手の「謙聞録」ではTシャツとパーカー、藤岡佑介騎手の「with佑」ではタオルが売られている。

 ここに「熱視点」のコーナーがあったとすると、何を売るべきか。ボールペンやマウスパッド、クリアファイルなどでは当たり前すぎる。キャッチや本文を書き下ろした競馬カレンダーはどうか。あるいは、例えば3月25日なら「ディープインパクトの誕生日」、9月16日なら「競馬の日」などとワンポイントメモのついた競馬手帳とか。書きながら思ったのだが、どちらもコストがかかるし、毎年更新しなければならない。それに、かなりの確率で赤字になるだろう。ある程度売れるとしたら著書ぐらいだが、このコーナーで書籍は販売されていない。つまり、ここに私の居場所はない、ということだ。

 マジメな話をすると、「ここが自分の居場所だ」と胸を張って言える場所を一カ所でも持つことができれば、生きる目的を果たしたとまでは言わないが、その時点でいい生き方ができている、と言えるのではないか。

 ここで言う「居場所」とは、身の安全が保証され、安堵を得られることに加え、自分らしくあることができ、自分の能力が生かされ、なおかつ他者から必要とされる場所、という意味だ。必ずしも、そこでトップになるとか、取り替えの利かない存在になる必要はない。「他者から必要とされる」というのも、客観的評価でなく、自分でそう思えるのなら十分である。

 高度成長期に確立された日本の会社組織のシステムというのは、終身雇用と年功序列を前提としていることもあり、長く勤めている人ほど、そうした「居場所」を確保できるようになっている。客観的評価の低い人でも、そこにいつづけることができる。

 だが、職場にも、家にも居場所はないように感じている人は昔から相当数いて、競馬場は、そうした人たちの大きな受け皿になってきた。競馬場でなら自分らしくあることができ、自分の能力が生きれば金が増えるし、馬券を買いつづける限り、他者(他の購入者)から必要とされつづけるからだ。

 埒の向こう側で走る馬たちにとってもそれは同じで、こうして金を賭けて見に来る人たちがいる「競馬」というシステムのなかこそ、馬たちが自分らしくあり、能力を生かし、必要とされる「居場所」であるのだ。

 その「居場所」があるからこそ、サラブレッドは世界中で生産され、寝床と食事を人間から与えられ、体を洗ってもらったり、糞尿の始末をしてもらったりという献身的な作業をしてもらう、という関係が成り立つ。

――それなのに、困ったものだな。

 と、アイルランドのコリン・キーン騎手が、イギリスのサンダウン競馬場のレースで鞭の使用制限回数の6回を超える8回使用したため騎乗停止になり、お手馬の重要なレースに乗れなくなった、というニュースを見て思った。

 キーン騎手のコメントによると、彼はアイルランドの8回という制限回数に慣れていて、イギリスでは6回までとわかっていたが、激しい競馬だったので頭から離れてしまったという。鞭の回数に制限が加えられるようになったのは動物愛護協会などへの対策なのだが、痛めつけるためではなく、ゴーサインや方向の指示、ゴールがまだ先であることをわからせるために叩いているのであって、そうして走ることによって、馬の将来は大きく変わってくる。叩かれて前に出ることによって種牡馬への道がひらけるなど、明るい未来が用意されるのだ。

 日本の鞭の使用ルールはイギリス、アイルランドとはまた異なっており、国によって叩いていい回数にバラつきがある。愛護側に立った表現をすると、国によって優しさにバラつきがあるわけで、何とも歯抜けのような状態になっている。

 本稿を読んでくれている人にとっては言わずもがなのことを書いてしまったが、愛護を叫ぶ人たちのなかには、本気で競馬をなくすべきだと主張する人たちもいる。馬が可哀相だから、ということなのだろうが、それはすなわち、馬たちの「居場所」を奪うことになり、サラブレッドという種の存続は不要だ、と主張するのに等しい。

 彼らはそれをわかっていないと思うのだが、わかっていながら主張しているとしたら、それはそれで恐ろしい。

 私が物書きとしての「居場所」を確保できたように感じたのは40歳をだいぶ過ぎてからだった。今もあるにはあると思うのだが、大きさや場所は当然変わっていくので、それを見失って勘違いしないよう気をつけたい。

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島田明宏

作家。1964年札幌生まれ。「Number」「優駿」「うまレター」ほかに寄稿。著書に『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリー『ブリーダーズ・ロマン』。「優駿」に実録小説「一代の女傑 日本初の女性オーナーブリーダー・沖崎エイ物語」を連載中。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナー写真は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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