震災後とコロナ後の今

2025年08月07日(木) 12:00

 昔はこの時期の北海道取材で暑さ対策を考える必要はなかった。それがいつからか、特に日中は東京と変わらぬ暑さになった。

 先週、「netkeiba」の新企画の取材で日高を訪ねたときも暑かった。馬は暑さに弱いので、牧場の人たちは大変だろう。陽射しが強くて気温も高く、おまけにアブも大量に出るとなると、昼間は舎飼いにして、夜間放牧に出すしかないのか。

 ここで私が用いた「昔」はいつぐらいまでのことなのか。「十年一昔」という言葉があるので、仮に10年前とすると、2015年。ドゥラメンテが春のクラシック二冠を完勝し、それを最年少ダービージョッキー・前田長吉の兄の孫の前田貞直さんと一緒に見た年だ。その少し前に、後藤浩輝騎手が世を去っている。感覚的にはわりと最近だ。あのころはもう北海道がかなり暑くなっていた。

 では、20年前の2005年はどうか。ディープインパクトが無敗の三冠馬になった年だ。夏場、札幌競馬場の厩舎に滞在していたディープインパクトの取材に行ったが、暑さで参ったという記憶はない。気温は高くてもカラッとしていた。また、ディープインパクトは2歳時の秋に池江泰郎厩舎に入厩してから4歳時の有馬記念で引退するまで、一度も池江調教師(当時)の手元から離れたことがなかった。競馬が終わるたびに外厩に放牧に出される今の競馬からすると、明らかに「昔」という感覚だ。

 20年前というのは、考古学や天文学、遺伝学などの研究者のように特殊な時間感覚を持っている人ではない限り、「昔」ということになるだろう。

 19年前、2006年は前田長吉の遺骨が故郷の八戸に「帰還」した年だ。

 18年前、2007年は、ウオッカが牝馬として64年ぶりに日本ダービーを勝った年だ。

 17年前、2008年は、贔屓のスマイルジャックがスプリングSを勝ち、日本ダービーで2着になった年だ。

 16年前、2009年は、ロジユニヴァースが日本ダービーを勝った年だ。私が毎月介護帰省をするようになった年でもある。

 15年前、2010年はアパパネが史上3頭目の牝馬三冠馬になった年だ。このあたりでもまだ「昔」という感じがする。

 14年前、2011年は3月11日に東日本大震災が発生した。ヴィクトワールピサが日本馬として初めてドバイワールドCを制し、オルフェーヴルが史上7頭目のクラシック三冠馬となった年だ。私が、震災と原発事故の被災馬取材として、相馬野馬追をカバーするようになった年でもある。

 どうやら、私にとって「今」と「昔」の境目となるのは東日本大震災のようだ。

 それによって物の見方や価値観の変わる転換点を、よく「○○前」と「○○後」と表現するが、私にとってはそれが「震災前」と「震災後」なのだと思う。

 私よりもっと上の、いわゆる団塊の世代では、「バブル前」と「バブル後」か。さらに上だと「戦前」と「戦後」だろう。

 震災が起きたときは子供だったり、まだ生まれていなかった若い人たちにとっては、「コロナ前」と「コロナ後」なのか。

 震災前と震災後で競馬そのものが変わったわけではないのに、2012年のダービー馬ディープブリランテ、2013年のダービー馬キズナ、2014年のダービー馬ワンアンドオンリー……と見ていくと、明らかに震災前より新しい感じがする。

 ちょっと視点を変えて、「○○前」と「○○後」の「○○」に時代を象徴する名馬を入れると、確かにその馬の存在が競馬を変えたことがわかる。

 古い順に挙げていくと、1964年に戦後初の三冠馬となった「シンザン前」と「シンザン後」か。その後長らく「シンザンを超えろ」をスローガンとする時代がつづき、途中、成績のうえではシンザンを超えなかったが、1973年に大井から中央入りして無敗のまま皐月賞を勝ったハイセイコーが国民的アイドルになった。

「ハイセイコー前」と「ハイセイコー後」で、競馬そのものより、競馬に対する世間一般の見方が大きく変わった。

 シンザンを競走馬として超えたのは、1984年に史上初の無敗の三冠馬となったシンボリルドルフだった。「シンボリルドルフ前」にはなかった、騎手が一冠目を勝ったら口取り撮影で人差し指をかかげ、二冠目を勝ったらブイサインにし、三冠を獲ったら三本指を出すというのはルドルフの主戦・岡部幸雄騎手(当時)がしたことで、「シンボリルドルフ後」にはほかの騎手もするようになった。名騎手は名馬に競馬を教えられる、ということが広く知られるようになったのも「シンボリルドルフ後」のことだ。好位差しの競馬が「横綱相撲」と認識されるようになったのも「シンボリルドルフ後」だろう。

 その次は「ディープインパクト前」と「ディープインパクト後」か。最後の瞬発力で大逆転して勝つ450kgに満たない(最初の2戦は超えていたが)馬の走りは、馬名のとおり、衝撃的だった。

 最近では、やはりイクイノックスか。「イクイノックス前」は、ゴールするまで勝負はわからないと言われていたのだが、あの馬が勝った2023年の天皇賞(秋)とジャパンCなどは、直線に向いた時点で勝負が決していた。普通なら追走するだけでバテてしまう速い流れのなか先行し、そのうえで最後にまた伸びるという、二段ロケットのような脚を使って圧勝する馬が実在したのだ。

 ディープインパクトの走りに夢中になっていたころは、ディープインパクトより強い馬など現れるわけがないと思っていたが、イクイノックスが現れた。ということは、イクイノックスより強いのではないかと思わせるとんでもない馬が、またきっと現れるのだろう。

 短くまとめるつもりが、長くなってしまった。こんなに暑いのに、またコロナにかかる人が増えているようだ。飛沫感染のほか接触感染も起こり得ることを知った「コロナ後」の人間として、私は今も、外出先から戻るとアルコールティッシュでスマホや財布、鍵などを拭いている。そのおかげか、普通の風邪もひかなくなった。引きつづき、気をつけたいと思う。

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島田明宏

作家。1964年札幌生まれ。「Number」「優駿」「うまレター」ほかに寄稿。著書に『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリー『ブリーダーズ・ロマン』。「優駿」に実録小説「一代の女傑 日本初の女性オーナーブリーダー・沖崎エイ物語」を連載中。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナー写真は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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