2025年09月11日(木) 12:00
嬉しいニュースと悲しいニュースの両方が飛び込んできた。
まずは嬉しいニュースから。9月7日に韓国・ソウル競馬場で行われたコリアカップを大井のディクテオン(セ7歳、父キングカメハメハ、荒山勝徳厩舎)が優勝。地方競馬所属馬として初めてとなる、海外ダート重賞制覇を果たした。日本調教馬としては同レース3連覇なので、「また勝ったか」という程度の受け止められ方をされている印象があるが、もっと讃えられるべき勝利だろう。
そして、現地時間の同日、フランス・パリロンシャン競馬場で行われたフォワ賞をビザンチンドリーム(牡4歳、父エピファネイア、栗東・坂口智康厩舎)が制し、重賞3勝目(うち海外2勝)をマークした。直線に向いたとき、馬群のなかでエンジンをふかしながら進路ができるのを待ち、ここだというところで反応させたオイシン・マーフィー騎手の技量に唸らされた。上がり3ハロンがメンバー最速の33秒09という数字だけ見るといかにも日本馬らしく感じられるが、馬群の隙間から伸びてくる姿は、まるでヨーロッパの馬のように力強かった。パリロンシャン競馬場の芝コースの特性に加え、10戦のうち8戦で外国人騎手が乗っているため、脚の使い方がそうなっている部分もあるのだろうか。
今年はフォワ賞から凱旋門賞まで中3週だ。ずいぶん前にも中3週だった年が何度かあったが、ナカヤマフェスタやオルフェーヴルらが走ったころも、その後もずっと中2週だった。広く、静かなシャンティイで過ごすと短期間で疲れが取れることを加味しても、やはり短すぎるように思われた。
2006年、ディープインパクトは宝塚記念からのぶっつけで臨み、3位入線後失格となった。池江泰郎調教師(当時)に、フォワ賞を使わなかった理由を問うと、真っ先に「中2週という間隔は短すぎるから」という答えが返ってきた。言ってもせんないタラレバだが、あのときもフォワ賞から中3週だったら、ディープもそこを使い、中間の体調や、本番での結果も違うものになっていたのではないか。
ともあれ、今年のビザンチンドリームは、間違いなく有力候補だ。2度目の挑戦となるシンエンペラー、フランスで重賞を勝ったアロヒアリイ、ダービー馬クロワデュノールと、タイプの異なる最強クラスが揃い、どんな展開になっても、どれか1頭には有利に働いてくれるかもしれない。
楽しみがふくらんだ。
次に、悲しいニュース。何度負けてもひたむきに走りつづける姿が人々の心を打ち、「負け組の星」と言われた牝馬のハルウララが9月9日に世を去った。29歳だった。
父ニッポーテイオー、母ヒロイン、母の父ラッキーソブリンという血統。
1998年に高知でデビューし、未勝利のまま90連敗を喫した2003年の初夏あたりからさまざまなメディアで紹介されるようになり、人気も知名度も全国区になった。同年12月14日、通算100戦目で100連敗を記録したとき、高知競馬場には4年ぶりに5000人を超えるファンが訪れた。
この馬の単勝馬券は「当たらない」からと、交通安全のお守りとしても人気があった。
翌2004年の3月22日に行われた106戦目では、前年史上初のJRA年間200勝突破をやってのけた武豊騎手を鞍上に迎えた。
高知競馬場では開門前から約3000人が長蛇の列をつくり、午後2時過ぎには観客が収容可能な過去最高の1万3000人に達し、同競馬場で初めて入場制限の措置が取られるほど盛り上がった。ハルウララは1番人気に支持されたが、11頭中10着。それでも、武騎手が「負けてもやろうと思っていた」というウイニングランでスタンド前に戻ると、超満員の観衆にあたたかい拍手で迎えられた。
同馬はその年、04年8月3日のレースで5着に敗れたのを最後に引退。それがデビューから113連敗目だった。なお、競走馬登録が抹消されたのは2006年10月だった。
今から10年ほど前、私はハルウララが繋養されていた千葉県御宿町の「マーサファーム」を訪ねた。同馬がそこに移動してから1年半ほど経っていた。代表の宮原優子さんによると、来たばかりのころは馬房のなかで触らせないなど警戒心を表に出していたというが、初対面の私にも顔を寄せ、撫でさせてくれた。宮原さんに「うーちゃん」と呼ばれて可愛がられているところを見て、ここに来てよかったとつくづく思ったことを覚えている。
いろいろな個性、能力の馬がいて、それぞれの過ごし方、愛され方があることを、ハルウララはその馬生で示してくれた。天国で、安らかに。
もうひとつ、JRAで来春デビューする競馬学校卒の新人騎手がゼロになった、というニュースにも愕然とした。競馬学校騎手課程42期生7人のうち4人が退学し、3人が留年したためだという。1982年に開校し、85年に石橋守・現調教師ら1期生がデビューしてから新人騎手がゼロになるのは初めてのことだ。
さらにもうひとつ、「42期生」という数字にも考えさせられた。開校からの42年で時代が大きく変わっている。学校といっても文科省が管轄する学校法人ではないので、そのぶん、ドラスティックな改革が可能なはずだ。受け入れる生徒の年齢などのほか、カリキュラムが単一である必要も含めて見直すべき時期なのかもしれない。
ただ、中学を出たばかりの少年・少女が中心となると、高校に進んだ同世代の子どもたちと同等に近い教育も必要となるので難しい。
いずれにしても、卒業生ゼロというのは、いろいろ新たなことをするきっかけにできるし、また、何もしないと絶対どこかから叩かれるので、今後に注目したい。余計なお世話かもしれないが、失敗したら元に戻せばいい、くらいの気持ちで、思い切った改革を望みたい。
バックナンバーを見る
このコラムをお気に入り登録する
お気に入り登録済み
お気に入りコラム登録完了
島田明宏「熱視点」をお気に入り登録しました。
戻る
※コラム公開をいち早くお知らせします。※マイページ、メール、プッシュに対応。
島田明宏
作家。1964年札幌生まれ。「Number」「優駿」「うまレター」ほかに寄稿。著書に『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリー『ブリーダーズ・ロマン』。「優駿」に実録小説「一代の女傑 日本初の女性オーナーブリーダー・沖崎エイ物語」を連載中。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナー写真は桂伸也カメラマン。 関連サイト:島田明宏Web事務所
プロフィール
ハルウララの全成績と掲示板
コラム
松本好雄オーナーの訃報
松本好雄オーナーの通算2000勝
昭和の競馬
女傑という表現。そして松崎さんへ
競輪
競輪を気軽に楽しもう!全レース出走表・競輪予想、ニュース、コラム、選手データベースなど。