「競馬界の七不思議」がまたひとつ

2025年10月02日(木) 12:00

 またひとつ「競馬界の七不思議」がなくなった。

 先週の第59回スプリンターズSを三浦皇成騎手が乗る11番人気のウインカーネリアンが優勝。デビュー18年目の三浦騎手は、JRA・GI参戦127戦目にして嬉しい初制覇を遂げた。これがJRA通算1121勝目。交流GIは勝っていたが、史上初めてJRA・GI未勝利のまま通算1000勝を達成していた。これからもおそらくそういう騎手は現れないだろう。普通、1000勝もする腕のいい騎手は途中のどこかでGIを勝つし、GIを勝てないのにこれだけ良質な騎乗依頼がつづき、結果を出しつづける騎手というのは珍しい、というか、彼以外にいなかった。

 この勝利により、「三浦皇成はなぜかGIを勝てない」という「競馬界の七不思議」のひとつがなくなった。

 三浦騎手のもっかのところの通算勝利数に近い成績をおさめた歴代の名騎手として思い出されたのは、武邦彦さん(1163勝)、田原成貴さん(1112勝)、そして安藤勝己さん(1111勝)だ。アンカツさんは笠松時代のほうがたくさん勝っているので比較の対象にならないかもしれないが、タケクニ先生は日本ダービーなど八大競走を8勝、成貴さんはGI級レースを15勝している。

 成貴さんはデビュー2年目に関西リーディングとなり「天才」と呼ばれた。デビューした2008年に新人最多勝記録を更新する91勝をマークした三浦騎手も「天才」と呼ばれた。

 それから三浦騎手はGIを勝つまでこれだけ時間を要したわけだが、成貴さんは24歳だった6年目、1983年の有馬記念でGI級初制覇を遂げている。その後の大舞台での強さは周知のとおりだ。

 武豊騎手と武幸四郎調教師の父で、騎手時代「ターフの魔術師」の異名をとった武邦彦さんも、成貴さんや三浦騎手のように早くからたくさん勝っていたようなイメージがあるが、そうではなかった。1957年にデビューし、初年度は8勝。しかし、170センチを超える長身で体重の問題もあり、最初の6年間は障害レースにも騎乗していた。重賞初制覇は平地ではなく、デビュー3年目のアラブ大障害(春)だった。

 デビュー14年目の1970年、通算500勝を達成したが、大レースには縁がなかった。武さんが大レースを勝てないことは「競馬界の七不思議」のひとつと言われた。

 そんな武さんが八大競走初制覇を遂げたのは、デビュー16年目の1972年、8番人気のアチーブスターで制した桜花賞だった。一度殻を破ると堰を切ったように大舞台で勝つようになり、その年の日本ダービーをロングエースで優勝。翌73年の菊花賞では、負傷休養中だった嶋田功さんの代打としてタケホープに乗り、国民的アイドルのハイセイコーをハナ差かわして勝利をもぎ取った。

 桜花賞で八大競走初制覇を果たしたとき、武さんは33歳。この桜花賞が通算620勝目だった。師弟関係が強く、東西の競馬がはっきりと分かれており、今ほどトップジョッキーに騎乗依頼が集中せず、騎乗機会が少なかったことを考えると、35歳で1121勝の三浦騎手と同じくらいと見ていいだろう。

 三浦騎手は、5歳のとき、大井競馬場で騎手の格好をしてポニーに乗るイベントに参加し、将来騎手になりたいと思うようになった。というより、彼の場合、「騎手になることを決めた」というべきか。以来、腕立て伏せと腹筋運動を毎日100回するようになり、小学生になると剣道、器械体操、トランポリンなどを習いはじめた。すべてが騎手になるためだった。トランポリンは、競馬学校の授業に取り入れられていることをネットで知り、バランス感覚の鍛練が必要だろうと考え、親に頼んで通わせてもらうようになったという。彼は、5歳のときから2008年の春にデビューするまでの13年ほどの間、「騎手になるためだけに生きてきた」のだ。

 私が彼と初めて話したのはデビュー直前だった。頭がよく、大人びていたので驚かされた。馬乗りのセンスは競馬学校の教官のお墨付きで、師匠の河野通文調教師(当時)のバックアップもあり、1年目から素晴らしい成績をおさめた。

 私は、贔屓のスマイルジャックが彼のGI初制覇の相棒になると信じており、そう彼に伝えたことによって、考え方によくない影響を与えてしまったかもしれない、と、申し訳なく思っている。スマイルジャックは、彼の手綱で2010年と11年の安田記念で3着となったが、それがこのコンビによるGIでの最高成績だった。そんなスマイルジャックとの日々も、「GIジョッキー・三浦皇成」の糧になったことと思う。武邦彦さん同様、これからはどんどんGIで結果を出していくだろう。

 三浦騎手、おめでとうございました。

 さて、「競馬界の七不思議」のひとつがなくなったのはわかったが、残りの6つは何なのかと言われると、ちょっと苦しい。前に本稿に「競馬界の七不思議」について書いたのは、2016年にサトノダイヤモンドが菊花賞を勝ち、「ディープインパクト産駒はなぜか3000m以上の平地競走を勝てない」というのと「『サトノ』の冠の馬はなぜかGIを勝てない』という、七不思議のうちの2つが同時になくなってしまったときだった。

 その稿では、「武豊騎手はなぜか日本ダービーだけは勝てない」とか「『メイショウ』の冠の馬はなぜかGIを勝てない」などがかつては七不思議になっていた、といったように、過去の七不思議を例に出した。当時進行中だった七不思議は、「サクラバクシンオーの産駒はなぜかスプリンターズSを勝てない」「武豊騎手はなぜか朝日杯FSを勝てない」「日本馬はなぜか凱旋門賞を勝てない」などだった。が、2011年に死んだサクラバクシンオーの産駒はもう走っていないし、武騎手は朝日杯FSを勝った。

 馬づくりが理詰めで進められ、「不思議」ができづらくなったのか。そうしたなか、今も残っている不思議のひとつは「日本馬はなぜか凱旋門賞を勝てない」だ。それも今週末に消滅するか。楽しみに待ちたい。

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島田明宏

作家。1964年札幌生まれ。「Number」「優駿」「うまレター」ほかに寄稿。著書に『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリー『ブリーダーズ・ロマン』。「優駿」に実録小説「一代の女傑 日本初の女性オーナーブリーダー・沖崎エイ物語」を連載中。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナー写真は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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