2023年03月20日(月) 18:03
▲最終回のテーマは「俺の人生」(撮影:桂伸也)
大好評、岩田康誠騎手の『俺のはなし。』も遂に最終回。競馬に関する独自の理論から少し意外な私生活まで様々な話を届けてくれましたが、最後に話すのは「俺の人生」。
とにかく勉強が苦手だったという学生時代の“伝説”のほか、来年迎える50代ジョッキーの仲間入りを前に、改めてジョッキーとしての目標とこれからの人生について伺います。
(取材・構成=不破由妃子)
──最後のテーマは、『俺の人生』です。今年は40代最後の年になりますね。
岩田 もうすぐ49歳かぁ(取材は2月末。岩田さんの誕生日は3月12日です!)。振り返ると、俺の人生、出来過ぎやな。地方からこんなん成り上がってさ。昔の俺からしたら、夢物語やで。中央に入って、叩かれたり貶されたりもしたけど、それでも一定の結果を残して。そういえば、俺の騎手人生、もう園田よりJRAのほうが長いんやから。
──超えましたか。
岩田 園田にいたのが15年、JRAはもう17年目やからね。だから今、園田に行くと、俺のことをよう知らん若い子がたくさんいて、「なんやこのオッサン」みたいな目で見られるで(笑)。幼稚園、小学校、中学校の頃は、勉強したくないもんやから、早く大人になりたいと思っていたのにねぇ。あっという間に半世紀近く生きてしまった。
──岩田さんにも幼稚園時代があったんですね(笑)。
岩田 当たり前や(笑)!
──子供の頃は、どんなキャラだったんですか?
岩田 目立ってるほうやったと思うよ。ただ、とにかく勉強はできひんかった。学校には、友達と遊ぶためと飯を食うために行っていたようなもん。あ、あと、中学に入ってからは部活ね。
──部活は何を?
岩田 陸上部で、長距離をやってた。タイムは遅かったんやけど、当時から走るのが好きで。だから今も走ることが苦じゃないのかも。考えてみれば、そこで基礎ができていたのが馬乗りにもよかったのかもしれんね。
▲陸上部で長距離をやっていた(撮影:桂伸也)
──子供の頃、ものすごく小さかったんですよね、岩田さん。
岩田 めっちゃ小さかったで。中学3年生のときの俺を競走馬に例えたら、メロディーレーンみたいなもんや。せやから、近所のお好み焼屋で「ジョッキーになれよ。儲かるで!」って声を掛けられた・・・
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岩田康誠
1974年3月12日、兵庫県生まれ。1991年に公営・園田競馬でデビュー。4度の兵庫リーディングに輝き、2004年にはデルタブルースで菊花賞を勝利、地方所属騎手として初の中央クラシック制覇を達成した。2006年にJRAに移籍。2012年にはディープブリランテと日本ダービーを制覇、ロードカナロアとは日本馬初となる香港スプリントを勝利している。歯に衣着せぬ物言いと直線での「イン突き」は常に多くのファンを魅了している。
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