女傑という表現。そして松崎さんへ

2025年08月14日(木) 12:00

 本稿に取りかかる少し前、月刊誌『優駿』の連載小説「一代の女傑」第4回のゲラのやり取りが終わり、責了となった。

 そのやり取りのなかで、『優駿』という誌名をくくるのは、このような二重カギカッコにすべきなのか、それともカギカッコのほうがいいのか、という話になった。

 私が雑誌で文章を書きはじめたころは、新聞や雑誌、作品名などはカギカッコ、単行本や文庫本などの書籍は二重カギカッコでくくるように、と指示された。複数の出版社からいろいろなことを言われ、その間を取って今に至っている。

 カギカッコと二重カギカッコのどちらが上とかではなく、区別しやすいように使い分けてきた。ミュージシャンのアルバム名は二重カギカッコで、曲名はカギカッコ、というように。

 私が物書きになったのは1980年代の後半だから、40年近く前のことだ。当時はインターネットがなかったので、『netkeiba』のようなポータルサイトもなかった。また、例に出したアルバムにしても、ちょうどレコードがCDに追い抜かれたころだったが、手に取ることのできる「物」であったことに変わりはなかった。それが今は、アナログ人間の私でさえダウンロードした音楽を聴くようになった。私は最近のアーティストのことはよく知らないので、アマゾンミュージックの「プレイリスト」という、売れているアーティストの代表的な曲を集めたものを聴いている。つまり、二重カギカッコでくくるべきアルバムを手に取ることも、その名前を見たり聞いたりする機会も(私に限っては)ほとんどなくなってしまったのだ。

 それに、雑誌で文章の書き方を覚えた人間としては悲しいのだが、出版不況でどんどん雑誌が減っている。先日、待ち合わせ場所に着くのが早すぎたのでコンビニで雑誌でも立ち読みしようと寄ったら、小さな新聞スタンドがあるだけで、どこにも雑誌置き場がなく、愕然とした。

 ということで、これからは、雑誌名や新聞名、サイト名なども二重カギカッコでくくることにした。約40年ぶりの表記改訂である。出版物自体が、細かく分類しなければならないほどの種類や量ではなくなってきたのだから、ひとくくりにしたほうがわかりやすい、と判断した。

 手元にある『記者ハンドブック 新聞用字用語集第11版』(共同通信社)の「引用符」のところには「(書名、作品などは『』)を使う」と記されている。が、これは二重に引用する場合、つまり、会話のカギカッコのなかなどでの使い方である。

 この第11版は2008年に出たものなので、最新の同書の第14版(2022年初版)も入手したのだが、書かれていることは同じだった。

 どちらにも、地の文に書名や作品名を引用する場合のカギカッコと二重カギカッコの使い分けについては記されていない。

 第11版では、「引用符」「その他の符号」の次に「差別語、不快用語」が載っており、どうしても目が行ってしまう。そこの「性差別」のところには、「女傑」「処女航海」「処女作品」「才媛」「才女」「才色兼備」など、女性を殊更に強調したり特別扱いする表現は使わない、と記されている。

 同書はタイトルのとおり、新聞での言葉の使い方のガイドなので、ほかの媒体にも当てはまるものではない。だとしても、どうして「女傑」がダメなのか。

 そこには「めかけ、二号、情婦→愛人」とあるが、余計に生々しいというか、言い換える意味がないのではないか。

 第14版になると、「ジェンダー平等での配慮」という項目が立てられ、性差別につながる表現に関するスペースが大きくなっている。前出の「女傑」や「才女」などは、第11版同様「不適切表現」とされている。

 ムダ話ばかりになってしまったので、馬や競馬に関する表記について、ひとつ。

 私がいつも「ダメ」とか「ムダ」「バカ」といった言葉をカタカナで表記するのは、「駄目」「無駄」「馬鹿」といったように、マイナスの言葉に「馬」という字を入れたくないからだ。馬の画家として知られる久保田政子さんも同じことを言っていた。

 最後にもうひとつ。中内田充正厩舎の公式サイトを見て、リバティアイランドを担当していた松崎圭介調教助手が、今年4月12日に亡くなっていたことを知った。

 松崎さんは1976年生まれなので、私とひと回り違いだ。2014年に中内田厩舎が開業したときからのスタッフである。ダノンファンタジー、ミッキーチャーム、アートハウス、ビッグリボンなどの重賞優勝牝馬を担当してきた腕利きだ。

 中内田調教師がリバティアイランドの担当に松崎さんを指名したのは、「マイペースで、馬のことでバタバタせず、沈着冷静」なホースマンだからだという。

 そのとおり、リバティアイランドが放牧のたびに大きく体を増やして帰ってくることを愛情たっぷりに語り、また、その成長ぶりを示すエピソードを理路整然と語ってくれた。

 リバティアイランドは、松崎さんが亡くなった約2週間後の4月27日、香港・クイーンエリザベス2世Cのレース中に故障し、世を去っている。

 松崎さんとリバティアイランドをよく知る川田将雅騎手がどんな思いだったのかを、今になって初めて知ったような気がする。

 受け売りだが、いい人ほど早く死んでしまうのは、きっと天国がいいところだからだ。

 松崎さん、安らかにお眠りください。

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島田明宏

作家。1964年札幌生まれ。「Number」「優駿」「うまレター」ほかに寄稿。著書に『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリー『ブリーダーズ・ロマン』。「優駿」に実録小説「一代の女傑 日本初の女性オーナーブリーダー・沖崎エイ物語」を連載中。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナー写真は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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