騎手と投手の日本からの離れ方

2025年09月25日(木) 12:00

 東京競馬場からの帰りによく寄った、府中の駅ビルの「啓文堂書店府中本店」が、本稿がアップされる9月25日、「紀伊國屋書店府中店」としてリスタートする。京王線沿線を中心に店舗を持つ啓文堂書店が、紀伊國屋書店グループの一員になったことによる切り替えである。最近の書店のニュースというと閉店ばかりなので、それより遥かにいいニュースではあるが、「啓文堂」としての思い出を持つ身としては、やはり寂しい。

 啓文堂書店府中本店には競馬関係の本が結構置かれていた。自著が平積みされているか、それとも棚差しなのか、立ち読みしている人がいるかなどを見るために何度も足を運んだ。そのとき、直木賞作家の浅田次郎さんにバッタリ会ったこともある。浅田さんも私も「競馬場帰りの自著チェック」という同じ目的だったので「バッタリ」と言うべきではないのかもしれないが、ともかく、いろいろなことが思い出される。

 さて、アメリカに長期遠征中のM.デムーロ騎手が、現地時間9月20日にロスアラミトス競馬場で今遠征8勝目を挙げたことがニュースになっている。私はロスアラミトス競馬場に行ったことがないので、どんな競馬場なのか、ミルコが勝った一般レースの賞金はどのくらいなのかなどを見るため同競馬場のサイトにアクセスすると、ミルコが勝った日に木村和士騎手が2勝しており、ミルコが勝ったレースでは2着になっている。その日の2勝目は、木村騎手による北米通算1000勝の節目だった。第5レースに「Tee N Off」という馬で達成したのだが、彼は、その前の第4レースも勝っている。つまり、彼は通算999勝からまったく足踏みせず1000勝に到達したのだ。

 殿堂入りしている歴史的名手、保田隆芳さんがモンキー乗りを習得するため、お手馬のハクチカラの遠征に同行する形で渡米したのは1958(昭和33)年。東京タワーが完成した年のことだった。保田さんは、帰国した翌年、初めてリーディングを獲得し、1963年には史上初の通算1000勝を達成した。その後、八大競走完全制覇をなし遂げた初めての騎手となり、50歳になる直前まで乗りつづけた。

 保田さんは1920(大正9)年に生まれ、38歳のときアメリカに渡った。木村騎手は1999(平成11)年生まれの26歳。

 保田さんが渡米したころも、武豊騎手が長期滞在した2000年ごろも、西海岸は、サンタアニタパーク競馬場、ハリウッドパーク競馬場、デルマー競馬場のメイン3場が「南カリフォルニアサーキット」と呼ばれ、トップジョッキーが鎬を削る激戦区だった。

 保田さんが初めて騎乗したハリウッドパーク競馬場が2013年に閉場し、そこで行われたレースの一部をこのロスアラミトス競馬場で実施するようになった。

「世界一」とも言われた騎手同士の争いの激しさは変わらないはずだ。もともとカナダを拠点とし、アメリカで本格的に乗り出したのは去年からとはいえ、北米で20代のうちに通算1000勝を挙げる日本人騎手が現れるなど、木村騎手が出てくるまで考えられないことだった。

「最大の目標は、世界最高のジョッキーになること」

 現地メディアにそう話している。

 彼にも、ミルコにも、もっとたくさん勝ってもらいたい。

 なお、ミルコが勝ったレースの総賞金は4万7500ドル。1ドル=147円で計算すると698万円ほど、ということになる。

 木村騎手は競馬学校を辞めた理由について、2023年4月6日の「ASIAN RACING REPORT」で、競馬学校のルールが厳しくて、当時の自分はそれに対する準備ができていなかった、と英語で話している。自分の電話を持つこともできず、故郷の北海道にも帰ることもできずキツかった、とも。

 つまり、公正確保のためのルールに適応できなかったのだと思われる。

 ただ、彼が入学したのは10年前で、退学したのは8年前のことだ。26歳の若者にとって8年は長い。望ましくない辞め方だったとしても、当時の彼と今の彼は違うだろう。

 時間が薬になる、というのは、時間が心の傷を癒してくれるという意味で、大切な人を亡くした人などにかける言葉だが、別の意味で、木村騎手にも当てはまるのではないか。

 と、いろいろ書いたが、要は、私は、あの若さで北米通算1000勝を達成した木村和士というジョッキーの手綱さばきを、日本で見てみたいのだ。それも彼が若いうちに。

 ジャパンCに出走する外国馬の鞍上としてなのか、ワールドオールスタージョッキーズなどの招待騎手としてなのかはわからないが、できれば早く実現してほしい。

 アスリートの日本の離れ方ということでは、千葉ロッテマリーンズからロサンゼルスドジャースに移籍した佐々木朗希投手を、私はずっと応援しているし、高いレベルで結果を出すと思っている。

 SNSなどでは、彼のロッテの辞め方がどうとか、日本で1年を通じてローテで回ったことがないとか叩く声が多いが、ドジャースはそれを承知で受け入れているのだから、匿名で他人を批判するような者たちにとやかく言われる筋合いはない。彼は日本を離れるとき「いろいろな意見があるのは重々承知しています」と話していた。が、そんな声に耳を傾ける必要はない。マイナーで体をつくり直せというひとつ覚えの罵声も無視していい。

 東日本大震災で肉親を亡くした23歳の若者が、限られた時間のなかで生き急いで何が悪いというのか。

 それに、今ドジャースにいる投手が日本に来たとして、佐々木投手のように毎度パーフェクトをやるんじゃないかと思うようなパフォーマンスを発揮できる投手が何人いるだろうか。大谷、山本、グラスノー、スネル……と結構いるが、ともかく、ボールに慣れさえすれば、先発ならふた桁、抑えなら30セーブは挙げるだろう。

 ここ数日で急に涼しくなった。本稿がアップされる日は大阪で馬主の取材がある。さあ、その準備をしよう。

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島田明宏

作家。1964年札幌生まれ。「Number」「優駿」「うまレター」ほかに寄稿。著書に『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリー『ブリーダーズ・ロマン』。「優駿」に実録小説「一代の女傑 日本初の女性オーナーブリーダー・沖崎エイ物語」を連載中。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナー写真は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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